篤姫も疲れを癒した肥後の温泉郷 〜熊本・山鹿温泉(やまがおんせん)〜

【ページ公開日:2009年11月17日】
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平安時代中期に編纂されたという漢和辞典『和名類聚抄(わみょうるいじゅしょう)』にも温泉郷として紹介されている『山鹿温泉』。辞典に紹介されているほどである。豊かな湯量と、とろりとした肌触りの泉質は、きっと当時からのものだろう。
その泉質から『美人湯』の別名で知られていた山鹿温泉の名声をより確かなものとしたのが、細川家第二代藩主・細川忠利のために建てられた『御茶屋』だといわれている。剣豪宮本武蔵を尊敬していたという忠利は、この自慢の別邸に武蔵を招き大宴会を行ったという言い伝えもある。一説によると風呂嫌いであったとされる武蔵だが、当地ではのんびりと温泉を満喫できたのだろうか。
また、1853(幕末嘉永6)年8月21日、将軍家への輿入れのため鹿児島を発った天璋院篤姫が、その途中で山鹿に立ち寄ったとも言われている。きっと、篤姫も満足の『美人湯』だったのではないだろうか。
山鹿の中心部にある『湯の端公園』。温泉がふきだしている噴水が、山鹿の豊富な湯量をうかがわせる。
こうした歴史上の人々にも親しまれた御茶屋は、維新後も1869(明治2)年まで旧藩時代の姿をそのままとどめ、藩公が入浴する『御前の湯』、武士の身分用の『御次の湯』、さらに外には一般民の入る『平湯』があったと伝えられている。この湯殿が1870(明治3)年と1898(明治31)年の2度にわたる改装を経て、町民のための温泉として生まれ変わったそうだ。
山鹿温泉は現在も昔と変わらぬにぎわいをみせている。アルカリ性独特の泉質に惹かれ、ここを訪れる温泉ファンも多いそうだ。まちには多くの入浴施設が点在しているが、気軽にその泉質を実感したいのであれば、まちの中心部にある『湯の端公園』内の『あし湯』がお奨めだ。もちろん料金は無料。地元の人たちと語らいながら、のんびりと『あし湯』に浸かるのもまた一興である。
地元の人々にも親しまれている湯の端公園内の『あし湯』
山鹿の魅力は温泉ばかりではない。江戸、明治、大正、昭和を通してヒトとモノが行き交った山鹿には様々な商家が建ち並び、にぎわっていた。その面影をいまに伝える建物にふれられるのも山鹿を旅する楽しみの一つだ。
『湯の端公園』の斜め向かいに建っているのは、大正ロマンの雰囲気にあふれる『山鹿灯籠民芸館』。1925(大正14)年に建てられた銀行を改装し1987(昭和62)年にオープンした。山鹿灯籠は、木や金具を使わず和紙と少量のノリだけで作られた伝統工芸品である。館内には山鹿の名物祭事『山鹿灯籠まつり』の灯籠おどりにも使われる金灯籠のほか、その技術を活かしたさらに細かい細工の寺社や城などの灯籠が並んでいる。圧巻なのは、天井に飾られた『双龍の絵』。元は御前の湯の天井に描かれていたもので、細川藩の絵師・狩野洞容(かのうとうよう)の作だという。
上:細部にまで意匠が凝らされた『山鹿灯籠民芸館』のモダンな外観。
左下:室町時代からの伝統工芸『山鹿灯籠』
右下:御前の湯の天井に描かれていたという『双龍の絵』
山鹿灯籠民芸館前の坂を上がると、江戸期の伝統的な芝居小屋の様式を今に伝える『八千代座』がある。建物内に足を踏み入れると、「い・ろ・は」で区分けされた「桟敷席」、「廻り舞台」や花道にある小型のセリ「すっぽん」など、当時のままの芝居小屋の風情が味わえる。なかでも、一際目をひくのは、きらびやかな天井広告の数々。ただ、1910(明治43)年、山鹿の旦那衆の肝いりによって建設されたこの芝居小屋は、1965(昭和40)年頃には廃屋同然になっていたようだ。しかし、1987(昭和62)年、市民の寄付によって復興。いまも現役の劇場として人々の感動を誘っている。
長い歴史をもつ温泉。そして、江戸、明治、大正、昭和の旦那衆からいまを生きる市民たちへ、しっかりと受け継がれてきた人情と郷土愛。皆さんにも、身も心も温まる温泉町・山鹿の魅力をぜひご堪能いただきたい。
上:『八千代座』内部。可能な限り当時の建材を活かして再建された。
左:八千代座外観。市民一人ひとりの深い愛情によって復興された。
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